鼠径ヘルニア日帰り手術開業外科医のチャレンジ
History of inguinal hernia and day surgery
鼠径ヘルニア手術と日帰り手術 ~1998年からのあゆみ~
脱腸は外科医の開業を変えた…
脱腸は、外科治療が必要な疾患のうちで最も数の多い疾患です。
日本では年間16万症例以上の手術が行われています。正式病名は「鼠径へルニア」で、外・内・大腿ヘルニアの3タイプがあります。
従来法と呼ばれる筋膜を寄せヘルニア門を閉鎖する方法は、我々の世代外科医にとって登竜門となった手技でした。
熟練した外科医が行っても術後の痛みが強く、社会復帰には1週間以上を要する術式でありました。
1993年にRutkow IMの考案したMesh & Plug法は鼠径へルニア治療を一変させました。
ポリプロピレン製のパラソル様のプラグ、同一素材のシートによりヘルニア門閉鎖、鼠径管後壁補強を行います。
組織を引き寄せたり、無理矢理に閉鎖をすることのない手技であり(tension free)、局所麻酔のみにて十分に根治出来る手技が登場しました。
日本では1995年にプラグが市販開始され、基幹病院外科で使われ始めました。
1998年7月当院にて日本初の開業外科医の鼠径へルニア外来日帰り手術が始まりました。
第1例は外鼠径へルニア、局所麻酔にて開始。
局所麻酔薬は1%キシロカイン+0・25%マーカインを20ml、合計40mlにて行います。
皮膚切開、皮下脂肪組織、2層の筋膜を切開、外腹斜筋腱膜へ到達し切開後鼠径管内へ到達。
ヘルニア嚢を挙上、周囲を剥離、内鼠径輪周囲の横筋筋膜をヘルニア嚢全周に渡り切開、ヘルニア嚢をpush back、内鼠径輪へPlugを挿入、固定。鼠径管後壁へon-layシートを挿入縫合……。
こんな手順で進みます。
今では信じられませんが1時間を要した手術でしたが、あっという間の1時間であった記憶があります。
術後直ぐに歩行可能でしたが、縫合したPlugが逸脱するのではないか?出血するのではないか?痛みが直ぐに出現するのではないか?走馬灯のように巡ってくる心配事で、術後2〜3時間クリニック内にてお休み頂き、お帰りになったことを忘れることは出来ません。
診療終了後の土曜日午後に行いましたので、週明け月曜日に外来へお越しいただきました。
痛みもそれほどなく、出血もなく、即時再発もないことを確認し、胸を撫で下ろしました。
患者さんに満足頂ける根治術を開業外科医が取り組み始めたのです。
外科医は基幹病院で手術を続けていれば世のため人のために役立つ特技を持った存在ですが、一旦個人開業をするとメスを捨て、それまでに得た消化器病、循環器病の経験を中心に地域医療へ取り組むのが常識です。
20年近く基幹病院で鍛錬し、取得した技術を一瞬にして捨て去り、医療を継続せざるを得ないと当時は思っていました。
護送船団方式
眼科・耳鼻科・皮膚科は、専門性をメインに診療を継続できますが、私のような消化器外科を専門的に学んできた者にとっては、開業と決断した時から「メスを下ろす」と言われ、一度は専門性の追求を諦めることとなりました。
地域医療では、「家庭医」として患者様の主治医となり、日常遭遇する急性疾患から専門でない慢性疾患を扱うことは医師として最も大きな責務です。
小児の扱いが下手な私が小児科を診ることに疑問を覚え、開業当時から小児科の標榜はしませんでした(もちろん小児外科としての鼠径へルニア、鎖肛には対応できます)。
欧米の開業医では、小さな病院と言えるシステムが確立されています。
アメリカでは、開業の外科医は連携する病院近くにオフィスを構え、契約病院で患者を治療します。
入院が必要になった際にはその病院へ入院しますが、入院費が高い病院では近隣のホテルなどに泊まり主治医が患者の術後管理をします。
国民皆保険のないアメリカでは、病院の入院費よりホテルの宿泊料金の方が安いのです。
患者は、専門医の手術を希望して遠方から多数受診します。
外科医は、任意保険によってランキングされるため常に自らの腕を磨かなければ経営が成り立ちません。
逆にランキングの上位で常に向上する外科医には当然ながら患者が集中し、十分すぎるほどの収益が得られるシステムです。
受診される患者はHappyな治療を受けることが出来ます。
一方、日本では、厚生労働省、日本医師会が「突出した技量」を御法度扱いとし、「護送船団方式」を作り上げてきたのではないでしょうか。
専門性を標榜してはならない、技量を示す表示をしてはならないといって、何時でも何処でも誰でも如何なる病気でも診療をすれば技量に関係なく診療報酬が支払われ、結果は問わず「均一料金」となっています。
こうした中で敢えて専門性をアピールする意味を「鼠径へルニア手術」に感じ、ホームページを立ち上げ、術式、成績を表示し始めたのが1998年暮れのことでした。
反応は凄い物があり、半年で20例の手術を行いました。ホームページを見てマスメディアからの問い合わせと取材があり、ニュース番組で取り上げられた結果、1999年以降は毎年100例ずつ増えて、ついに年間500例の手術を行うようになりました。専門性を表示することは、受診する患者にとってHappyな結果になっているのではないでしょうか。